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サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

総長メッセージ「神は私たちの幸せを望んでおられる」


 

総長メッセージ(2018年1月)

ドン・ボスコは私たちに教えてくれました。
神は私たちがいつも幸せでいることを
望んでおられるのだ、と。

 私は思いました、ドン・ボスコが今も生きているのは確かだと。イエスのみ名において数え切れないほど多くの人々が彼の夢を実現させようと取り組んでいるさまざまな現場で。ドン・ボスコは生きています。彼こそがその人々にインスピレーションを与え続けているからです。

 

 親愛なる皆さん、この1か月半の間に多くのことがありました。(私は11月末にこれを書いていますが、ドン・ボスコの月である1月のことを心に留めています)。10月と11月、私はブラジルのサン・パウロとレシフェで中味の濃い素晴らしい14日間を過ごしました。インドのバンガロール、グワハティ、アッサム、ムンバイでの11日間、アンゴラとモザンビークでの10日間、いずれも特別な日々でした。

 今日はマトラのとても質素な場所で200人の大人や子どもと日曜日のミサを捧げました。皆に別れを告げる時でもありました。大勢は裸足で、「日曜日のよそゆき」を身につけてはいませんでした。そういうものを持っていないのです。そのうちの1人が皆を代表して読んでくれた感謝のメッセージを私はここに書き写します。実に素晴らしいメッセージだったので、自分一人のために取っておきたくないと私は思いました。生き生きとした言葉を通して、私の思いはある確かなことへと向かいました。神の恵みにより、ドン・ボスコは今も世界中至るところで生きているのだ、と。

 では12歳の女の子のメッセージを紹介します。

 「ミサを捧げるこの時、私たちは神様とアンヘル神父様に感謝します。神父様が来てくださったおかげでいのちと友情を祝うことができました。ご一緒にミサを捧げる間、私たちの心は大きくなりました。神父様がご自分の心の中に世界中の子どもたちと若い人たちを抱えていらっしゃるからです。お父さんであり、友だちであるアンヘル神父様、私たちとミサをしてくださり、ありがとうございます。どこにいらっしゃっても、主が祝福してくださいますように。私たちは神父様のためにお祈りします。神父様が私たちのために祈るのをやめないことを知っています。私たちも一緒に旅をして、お仕事の手伝いをできたら、どんなに素晴らしいでしょう。でも、おわかりですよね。私たちは一所懸命勉強し、家の手伝いをし、やがて多くの人々のために良いことができるよう、よく準備しなくてはならないのです。いつか、神父様がここに戻っていらっしゃったら、私たちはそれまでに新しく見つけた良いことや、行うことのできた良いことをゆっくりお話しすることができるでしょう。ドン・ボスコは教えてくださいました。神様は私たちがいつも幸せでいることを、そして自分の務めをよく果たすことを望んでおられる、と。私たちから世界中の子どもたちへのハグを持って帰ってください。神父様がどこにいらっしゃっても、心の中で、私たちの友情が祈りになるのを感じるでしょう。お疲れのときには私たちの喜びが安らぎをもたらすでしょう。私たちを心に留めてください。私たちの心に神父様はいつもいらっしゃいます。では、アンヘル神父様、ご一緒に歌いましょう。これは神様が私たちに望んでおられることです。『私は幸せ、イエス様がそれを望んでおられるから』」。

 青年リーダーたちに付き添われた子どもたちのメッセージはこうして締めくくられました。

 彼らは私を見つめ、私も彼らを見つめました。そして私はまた自分に言い聞かせました。世界中の私たちサレジオ会員とサレジオ家族はまさしく彼らのため--最も貧しく、最も素朴な小さい人々のために生まれたのだと。この人々と共にいるときこそ、私たちは最も心が安らぎ元気になり、人々が最も元気になれるよう手助けするのです。私は1月半の旅を通して知り合った数え切れないほどの子どもたち、十代の少年少女、青年たちのことを考えました。どのような文化や習慣のもとにあっても彼らは皆、同じことを言いました。

「僕・私には未来がある。何も失われてはいない。僕・私はここにいて、未来がある。未来があるんだ」。

 そして私は思いました、ドン・ボスコが今も生きているのは確かだと。イエスのみ名において数え切れないほど多くの人々が彼の夢を実現させようと取り組んでいるさまざまな現場で。ドン・ボスコは生きています。彼こそが人々にインスピレーションを与え続けているからです。

 この文章を書いているとき、私が話したことを確証する事柄がふと思い浮かびました。1週間前、私はアンゴラのルアンダにある1軒の家を訪問しました。そこではストリートチルドレンを受け入れています。その日には42人の子どもたちがいました。新しい子はその1週間前に来たばかりでしたが、「ベテラン」は5年前からいます。1番年の小さいいわゆる「ベニヤミン」は6歳です。彼らの中でラップの得意な子が私たちの訪問のために曲を作りました。「僕には未来がある。何も失われてはいない。僕はここにいて、未来がある。未来があるんだ」。神のみ摂理によって私たちの施設に来る前に、その少年はすでに2年間を路上で過ごしていました。彼らを見ているうちに私の心は感動で満たされ、こう思いました。ドン・ボスコは生きている! この家の中に、そして、友人、兄、父として、言葉とまなざしと開かれた腕で子どもたちを迎え入れる、私の兄弟である会員一人ひとり、共に働く信徒の教育者の中に、ドン・ボスコは生きている!

 自分たちを心の中に留めて欲しいと私に願った、あのマトラの少女は正しかったのです。一度彼らを知った後で、私は彼らを心に留めずにはいられません。そして、誰をも何をも信じようとしない世界で、一緒に手を取り合えば多くのよいことができると信じ続ける友人の皆さん、善意に満ちた皆さんも、私と同じでしょう。

 私が皆さんと分ち合おうとするのはいのちそのものです。コルカタの聖女マザー・テレサもよく言っていました。私たちが出会う貧しい人々の誰ひとり-そして聖女に代わって言いますが-小さな男の子、女の子、思春期の若者、青年の誰ひとりにとっても、その出会いは無関心ではすまされないどころか、彼らの生き方を変えてしまうこともあるのです。

 ですからこのいのちの美しさを神に感謝しましょう。最も小さい人々、最も単純素朴な人々、この世からは問題にされないけれども、私たちに多くの良いことをし続けてくれる彼らのことを神に感謝しましょう。ドン・ボスコの名において「ありがとう!」

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》