ページのトップへ

サレジオ会 日本管区 Salesians of Don Bosco

サレジオ家族の聖人略伝

サレジオ会とファミリーの聖人・福者など、
神と人々に生涯を捧げた模範的な人々の略伝を紹介します。

JCharles Della Torreカルロ・デッラ・トッレ司祭1900-1982年
サレジオ会司祭

帰天:1982年4月4日


 1900年7月9日、ミラノのチェルヌスコで生まれる。父アントニオ、母フイロメナ、デッラ・トッレ家の7人兄弟の4男である。1917年、第1次世界大戦が起こると、カルロ青年は召集され、家に帰還したときには、彼の父親は亡くなっていた。
 1923年まで、家族のために働いた。彼は宣教師になることを希望し、イヴレアのサレジオ会カリエロ学院に入学し、3年間で課程を終え、1926年、家族に別れを告げ、ただちに中国に向かって出発した。長上は彼を新しい宣教地タイに派遣し、そこで初誓願を立てた。そして、本部支部で働く人々の世話と霊的指導も任された。そこで働く若い男女を世話しているうちに、あたかも「聖母からの霊感に導かれたかのように」、地域の教会やカトリック学校の用務、さらにカテキズムを教え、子どもたちの初聖体の準備する仕事に携わるシスターの修道会の創立に関わるようになった。
 1936年、司祭叙階。第2次世界大戦の後、カルロ・トッレ神父は生まれたばかりの修道会のために尽力するため、サレジオ会を離れ、バンコック教区で働くことになった。創立者として、ドン・ボスコやアロイジオ・ヴァリアラ神父のように、苦労するが、主の御旨を行うために努力した。実に困難な年月を送り、彼とシスターたちはお金も無く、住まいも、仕事も無いような、絶望的日々を体験した。裁縫や刺繍をし、それを売ってパンを得たりした。司教の許可を受け、ローマに修道会の会則を送った。
 1955年、多くの困難を経た後、最初の7人が誓願を立てた。「無原罪のマリアの娘たち在俗修道会」と言われる。
 その間、長年、サレジオ会に復帰することを願っていた。やっと80歳になったとき、司教はそのことを許可した。
 1982年4月4目、バンコクで、サレジオ会員として死去した。 カルロ神父が創立した会には2007年現在、立願者48人、修練者4人、36人の志願者がおり、5つの場所で働いている。
 2003年7月14日、教区での審議開始を聖座は許可した。